今日、これからさよならする私の子宮に思いを馳せる。
生まれてこのかた、39年間連れ添った子宮。
13歳で初潮を迎え、毎月その血を受け止めてきた。
その数、なんと316回。
途中生理を止めることもあったから正確にはもうちょっと少ないが
よくこれだけの回数出血に耐えてきたなと思う。
若い頃から色々とトラブルが絶えず、常に婦人科のお世話になってきた。
33歳で粘膜下筋腫が見つかり、生理が1か月止まらなかったり、
オムツを履かないと漏れてしまうほどの大量出血に悩まされたりするようになった。
当時通っていた婦人科の女医さんには、診察に行く度に
「今すぐ子供を産まないとダメよ!」と説教された。
粘膜下筋腫は子宮内膜に筋腫ができるため、不妊の原因になることが多いので
私の将来を慮っての発言だったのだと思うが、
当時、子供どころか彼氏もいなかった私は凄く不毛な気持ちになり
「女医のくせにまったく女性の気持ちに寄り添っていない」
と腹立たしく、そして悲しく思っていたものだ。
今振り返れば、あの女医さんのアドバイスは的確だったんだと納得できる。
34歳直前に腹腔鏡下手術を受け、多発性の粘膜下筋腫をできる限り摘出した。
通常の生理に戻り、QOLを取り戻した私はその年に今の夫に出会い、翌年結婚。
仕事も5年間勤めた会社を辞めて転職することになったので
「子供は38歳くらいにできればいいや~」と呑気なことを考えていた。
もし本当に38歳まで待っていたら、子供がいない人生を送ることになっていただろう。
結婚して半年、35歳になったばかりの5月に妊娠が発覚。
なんと転職してまだ二週間目の出来事だった。
ありがたいことに出産4週間前まで大した悪阻もないまま元気に働き、
手術で一度子宮を切っていて自然分娩だと子宮が破裂する恐れがあるため
予定帝王切開で36歳の1月に無事娘を出産。
(予定日2週間前にも関わらず娘が大きすぎてなかなか出てこず、
お腹の切込みを拡張するというトラブルはあったが・・)
転職したてで育休が取れなかったため、産後2か月で仕事復帰し、
体の悩みと言えば産後太りくらいでしばらくは平和に過ごしていたのだが。
38歳になった頃から、また徐々に長引く生理と出血の多さがぶり返してきた。
あー、また粘膜下筋腫か。再発したな、とすぐにわかった。
妊娠した頃のエコーでも筋腫が指摘されていたが、大きさは2cm程度で
特に問題になることはなかったのに。
妊娠中は生理が止まり、筋腫の成長は抑制されるので、
産後1年足らずで筋腫が急成長したことになる。
33歳で初めて筋腫が見つかった時もそうだったが、
医師のアドバイスに従って経過観察しているとあっという間に大きくなる。
筋腫の場所によっては私のように、様子を見ていたら大きくなって
生活に支障をきたすようになるので、筋層内筋腫なのか、漿膜下なのか粘膜下なのか、
筋腫がある人は自分の筋腫の場所を把握しておくことが大事だと思う。
粘膜下筋腫の再発で、私の心は決まっていた。
そうだ、子宮を取ろう。
子供も一人で十分だと思っていたし、何よりまた手術を繰り返すのは
もうウンザリだった。
0か100かという極端な考え方をするきらいがある人間なので、
一度手術しても再発するのならもう全摘するしかない、と結論を出していた。
だが、全摘したいと相談した婦人科の先生たちはみんな揃いも揃って消極的だった。
「まだ若い」「手術で筋腫を取れる」「全摘したら尿漏れなどのリスクもある」
と、デメリットを並べて全摘以外の選択肢を勧めてくる。
やはり医師というのは「治療」することを念頭に置いているので、
全摘というのは治療とは見なされないからなのだろうか。
最終的に、生理を止めるホルモン薬「ディナゲスト」を処方され、
毎月の生理を止めて様子を見ましょう、ということになった。
そして39歳の8月、ディナゲストの服用を開始して半年。
5月に転職してからかなり忙しくなっていたことも手伝い、
夏の間中体調が思わしくなく、不正出血も続いていた。
一度、夫と娘と新宿までしまじろうコンサートを観に行った先で具合が悪くなり、
救急車で愛育病院に搬送され、診察や血液検査をしてもらったのだが、
「特に異常ないですね」ということでそのまま帰された。
日曜日だったせいか「こんなことで救急搬送されてきやがって」的な空気を感じ、
あぁ、やっぱり具合が悪くてもそう簡単に救急車は呼ばない方が良いんだな・・
と後悔し、何でもないんだったら我慢しなくちゃというスイッチが入る。
そこから10日間、仕事も普通に続けていたのだが、出血量がどんどん増えていった。
スーパーで売ってるレバーのサイズくらいの血の塊が何個も何個も出てきて、
それが始まるとトイレから全く出られないような状況になっていった。
ある夜、素人目に見ていても「このままこんなに出血が続いたら死ぬんじゃないか?」
と思い始め、立ち眩みもしていたため、玉川病院に電話して夜間診療をお願いし、
パジャマのままタクシーで病院に向かった。
愛育病院に救急搬送された時と同じようにエコーや血液検査など一通りやってもらい、
しばらく車椅子に座ったまま待機する。
どうせ今日も何でもないからって帰されるんだろうな・・とぼんやり考えていると、
奥から「ハーベー7.7」「輸血」「転送」「オペ」というヒソヒソ声が聞こえてきた。
え、輸血?オペ?そんなにやばい状態なの?と混乱していると、医師が来てくれて
「貧血が結構ひどく、子宮の出血も止まりづらい状態が続いている。
お腹にも血が溜まっていて、このまま全摘した方が良いと思う」
と説明してくれた。
なんと願ってもない子宮全摘の診断である。
そして、「救急車で来た方が良かったよ」とも言われた。
自分としてはしまじろうコンサートの日の方が具合が悪かったのだが、
案件的にはこの日の方が重症だったらしい。
玉川病院ではすぐに輸血などの対処をすることが難しいらしく、
帝京大学溝の口病院に救急車で転送されることになった。
溝の口病院ではすぐに輸血をしてもらい、急な大出血だったため悪い病気も疑われ
子宮頸がん、体がんなどのがん検査をはじめ、悪性腫瘍である肉腫を疑っての
MRI、造影CT、造影MRIと様々な検査を受けることになった。
そして入院から5日目、ようやく悪いものではなく粘膜下筋腫の仕業だろうという
医師からの結論が下り、腹腔鏡下手術での子宮全摘が決定。
しかも、将来問題を起こしやすい卵管もサービスで一緒に切除してくれるのだという。
まさに「出血大サービス」である。
こうして、大出血を起こしたおかげで念願の子宮全摘ができることになった。
自分自身の気持ちとしては、去年粘膜下筋腫の再発に気付き、
婦人科に全摘をお願いしに行った時点で手術できていれば、
タイミングもコントロールできたしこんなに苦しまずに済んだのに・・・
という思いもあるが、残念ながらこのくらい悪化しないと
簡単には全摘してもらえないということもわかった。
何はともあれ、どちらかというと役に立つことよりも問題を起こすことの方が多かった
子宮とついにおさらばだ。
ただ、筋腫と筋腫のほんのわずかな時間で娘を授かり出産できたことは
本当に奇跡的だったし良かったと思う。
できそこないの子宮、グッジョブである。
これから出血に悩まされることがなくなり、体調が回復することが楽しみで仕方ない。
子宮がなくなった生活がどんな感じなのか、また退院後にレポートしたいと思う。
子宮よ、39年間おつかれさま。そしてありがとう!