雨のなか、岡崎京子展に行ってきた
すごく行きたくて、行くのが怖くて、
でも行かなきゃいけなかった展覧会、
「戦場のガールズ・ライフ」。
私が岡崎京子作品をちゃんと読んだのは、
すでに彼女が交通事故に遭って漫画が描けなくなった後だった
10代の多感な年頃で、南Q太や魚喃キリコ、やまだないと、桜沢エリカ、
そういう人たちの漫画を毎日のように読み漁る中で
岡崎京子の漫画を読むことは自然な流れだった
けれど、彼女の作品は他の漫画家たちのそれと違って
どこか怖い感じがした
例えるならば真正面からぶつかってくる感じ。
「あなたはこういう人」ってずばり言い当てられている感じ。
それは彼女の作品が明らかに他とは違うリアリティを持っていたから。
それでも、恋人と喧嘩して傷ついた時、
友達とうまくいかない時、
親なんかいなくなればいいと思った時、
勇気を出して岡崎京子の漫画を読むと、不思議と満たされた
ありのままの自分で良いんだ、と思える安心感があった
学校が嫌いで授業中も漫画や本を読んでばかりだった私にとって
彼女は私の先生だったのかもしれない
展示を見るのは案の定つらかった
どうしてこんなに素敵な人が、
どうしてこんなに才能のある人が、
交通事故なんて悲しい目に遭わなければいけないのか。
まるで彼女の魂が宿っているような原画を見ていて涙が出てきたし、
他に何人も泣いている人がいた
みんな同じ気持ちなんだろうと思う
一人の女の子の”おちていく”様を常に漫画という手段で表現した岡崎京子
たぶん岡崎作品を好きな人はみんな彼女の復活を望んでいると思う
もちろん私だってできることならもう一度漫画を描いてほしい
でも、新しいものが生まれないということは、
今ある作品と、作品のなかにいる女の子たちだけが生き続けるということ
彼女の作品の中に出てくる女の子たちは、
成長もしなければ年も取らない
永遠に変わることのない今のその子のままだ
それだけ絶対的な存在になれるのは岡崎京子の描く女の子だからだし、
それはきっと岡崎京子自身が不変の強さと弱さを兼ね備えている
絶対的な存在だったからなのだろう
もう一度、時間をかけて岡崎作品をたくさん読み返したい
そして岡崎京子の漫画を読んだことのない人にも読んでほしい
例えば、まだ自分自身と出会っていない10代の女の子。
学校がつまらない、勉強が大嫌い、バイトは楽しい、
恋人がほしい、セックスがしてみたい、毎日が退屈で仕方がない。
そんな人に岡崎京子はきっと大切なことを教えてくれる